漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2018.10.   掲載
2019.1 写真を追加
 

 「さんずい」と「にすい」

 「さんずい」と「にすい」という部首について書きます。ちょっと紛らわしいので、小学生の時に、「カタカナの『シ』と『ン』」と覚えたことを思い出します。(サンズイやニスイとちょっと形は違いますが、フォントがないので、この稿でもこれらを「シ」と「ン」で代用します。)

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「河」小篆 「水」小篆 「冷」小篆 「冬」康煕字典

 「河」という字の小篆(しょうてん)(しん)の始皇帝が統一した書体。約2200年前)を見ると、偏に当たる部分は「水」の小篆と同形です。だから、サンズイのつく字の部首は、伝統的には「水」ということになっています。ではニスイはどうかと見てみると、「冷」の偏はご覧のとおり。これは氷が張っている様子を写したものといい、ニスイを持つ字は凍ることや寒い様子を意味することが多いのです。ちなみに、「氷」という字は、元は「冰」と書きました。ニスイに水で、まさに氷のことですね。ほかにも、「寒」や「冬」の下部の点々も、旧字体ではニスイと同じ形に書いたのです。(もっとも、もっと古い金文や甲骨文までさかのぼると、この2字にはニスイはつきませんが)

 康煕(こうき)字典(中国・清の康熙帝が作らせた字書。1716年完成。以後永く、漢字の字形や部首による分類の規範となった)では、ニスイは「ン部」(2画)なのに、サンズイは、さっきも書いたとおり「水部」(4画)です。水部には、「水」の形で部首になるもの(氷、泉など)やsitamizu.png(382 byte)(したみず)の形のもの(泰など)も含まれ、すべて元は「水」だったとされるので仕方ないかもしれませんが、それを知らなければ部首別索引でサンズイの字を探すのは大変です。このため、現在では3画の「シ」も部首索引に加えている辞書が多くなってます。パソコンでも、例えばマイクロソフトのIMEパッドでは、サンズイの字は3画の「シ」の部首にまとめられ、4画の「水」の項には含まれていません。

 サンズイとニスイは水と氷で意味も近く(水は冷たいものだし)、形も似ていて崩して書くと区別がつかなくなるので、昔から厳しく区別せずに使われていたようです。漢和辞典でニスイの部を見ると、「サンズイの字の異体字」とだけ説明されているものがいくつもあります。しかし、サンズイかニスイかで全く別の字になるものもあり、注意が必要です。「漢辞海」という漢和辞典で、サンズイがついてもニスイがついても漢字になるものを全部を抜き出してみました(国字は除く。「大漢和辞典」でやりかけましたが、あまりに数が多いので途中であきらめてしまいました)。下線を付けたものが常用漢字です。

 〇一方が他方の異体字
  サンズイが主流:決・沖・況・浄sannzuiyo.png(921 byte)涼・減・準
  ニスイが主流:・凛
 〇サンズイとニスイで別の字になるもの(意味の一部が通用するものを含む。よく使われる方のみ記載)
   沍・治・冷・洗・冽・涸・凌・准・清・凍nisuikuri.png(813 byte)
 サンズイの字とニスイの字の両方が常用漢字なのは「治」と「冶」のみです。意味も発音も全く違った字ですので、気をつけてください。

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京都・相国寺の伊藤若冲の墓石(筆者撮影)
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伊藤若冲の落款。
「冲」の字(右下)はニスイ

 江戸時代の京都で活躍し、「奇想の画家」として最近人気が高まっている伊藤若冲(じゃくちゅう)。彼の号は「老子」第45章の「大(えい)若冲、其用不窮」から採られています。この句の意味は「本当に充実しているものは、一見、無内容に見えるが、いくら使っても無限の功用をもつ。」ということで、「若冲」は「むなしきがごとし」と読まれています(朝日新聞社版、福永光司訳)。この本や明治書院の新釈漢文大系版「老子」では、「冲」の字にはこのとおりニスイの字が使われていますが、康煕字典の「沖」の項に引く老子のこの部分は、「大盈若沖」とサンズイになっています。また、伊藤若冲の落款はニスイの字の小篆ですが、京都・相国寺にある若冲の墓石にはサンズイの字が用いられています(案内用の石碑はニスイ)。このように、「冲」は「沖」の異体字だからどちらを使ってもよい、というのが昔からの対応のようです。

 「冲」の字の使用例をもう一つ。「天地明察」などで知られる冲方丁(うぶかた・とう)という小説家がいます。もちろん筆名ですが、ウィキペディアによると、その由来は「暦の用語を並べたもの。生まれたのが1977年(丁巳)で、「丁」は火が()ぜるという意味だったので、それに対して「冲」(氷が割れる音を意味する言葉)を持ってきた。「方」は職業の意。冷静さと熱意、それを職業にしていくという意味がある。」とのことです。「冲」について言えば、「詩経(しきょう)」(中国最古の詩集で、西周代(紀元前1046~771年頃)に成立したというが、諸説あり)に「鑿冰冲冲」(さくひょうちゅうちゅう)とあり、「鑿」は「工具のノミ、けずる」という意味ですので、「氷を削る音」が正解のようです。また、この字を「うぶ」と読むのもよくわかりませんが、冲に「稚」(おさない、あどけない)という意味があることからきているのでしょうか(以上、康煕字典の記事から推定)。
 「丁」は普通は「テイ」や「チョウ」と読みますが、「トウ」と読む場合もあり、その場合の意味は「木を伐る声」だといいます(大漢和辞典)。「火が爆ぜる」という意味は康煕字典でも大漢和辞典でも見つかりません。

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「盗」康煕字典
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「次」康煕字典
 「盗」の上部は、「次」という漢字だと思ってしまいますが、康煕字典に載る「旧字体」では「サンズイ+欠」で、「よだれ」という意味の漢字です(「涎」の本字)。「盗」は、ニスイを使った俗字が当用漢字の字体に採用されてしまったものです。「羨」の下部も同じ字ですが、「羨」が常用漢字になった今もサンズイのままです(2010年に旧字体のまま常用漢字に追加)。

 ついでに言うと、「次」の左側はニスイではなく、漢数字の「二」です。「次」の部首は「欠」で、「二」が声符(音を示す符号)です。それがいつの間にか、ニスイと区別がつかない形が使われるようになってしまいました。「姿」の上部や「諮」の右上もこの「次」です。


 サンズイとニスイ。どっちでも良かったり、本当はサンズイなのにニスイになったり、ニスイだと思ったら別のものだったり、ややこしいことですね。




参考資料

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

全訳 漢辞海 第3版 第1冊 佐藤進ほか編、三省堂 2011年

老子 下 第1刷 福永光司著、朝日新聞社 1978年

大漢和辞典  修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年

画像引用元(特記なきもの)

小篆  漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

JIS第1・第2水準外の漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)